私の父は漁師でした。天候に左右される不安定な仕事の中で、弟と私、二人とも東京の大学に行かせてくれました。私はずっと野球をしていてアルバイトもしなかったので、いま思えば両親にとって、大変な負担だったと思います。母はそんな父を陰になり日向になり支えていました。私も親になったいま、いい両親に恵まれたなあと、感謝の気持ちでいっぱいです。
少年時代、私は勉強もよくしましたが、とにかく野球に燃えていました。めざすはもちろん甲子園です。野球部顧問のT先生は、とてもおっかない先生で、その頃からの私の親友である現専務は、何も悪いことをしていなくても、T先生が遠くに見えるとさっさと逃げ出すという恐れようでした。
忘れられないエピソードがあります。
ある試合の時、当時のエースが泥だらけのスパイクをはいてきました。そのときに先生が言ったんです。「道具の手入れもできないやつは、試合に出さない」と。
試合に勝たなくてはいけない先生の立場から言えば、エースを出さないという判断はいかにも困難。でも、仮に能力が高くても、道具を大事にできない人間を許すことは教育上正しくないという勇断だったと思います。
T先生からは、野球そのものよりも、人間として大切なことを教えてもらったと思っています。 |
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M・ZECで家を建ててくださったT先生宅で。いまも野球談義がはじまると止まりません |
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