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M・ZEC号出帆す | | 注文住宅を大分で建てる工務店M・ZECエムゼック

社長の思い

M・ZEC号出帆す

ー永遠の野球少年、大海原へー

瀧 満

たき みつる
●株式会社 M・ZEC 代表取締役社長
昭和33年1月24日生
人生のキーワード 『人を裏切らないこと』
少年期より大学まで、野球部に所属したスポーツマンです。挫折も味わいましたが、野球を通じて、人と人との係わり合いを学びました。人生も経営も野球そのものと考えるナイスガイです。

 

   瀧 満 たき みつる 株式会社 M・ZEC 代表取締役社長

乗組員、少なし。兵糧、少なし。天候、悪し。夢とやる気、あまるほどあり。

2005年、そんな状態で我らがM・ZEC号は、大海原に船出しました。九州では誰も知らない、誰もつくれない、材料もない外断熱工法による家の事業化。無謀とも思える挑戦を支えてくれたのは、妻であり、友人であり、そして何より「いい家」がほしいと切実に願うお客様でした。

そしてもうひとつ、大きな精神的支柱となったのが、少年の頃から続けてきた野球でした。野球がいかに私という人間を形づくっていたか、今回の経験で身にしみて感じたのです。

若い純粋な時代に、一生懸命にしたことというのは、なんと大きな影響をもっていることか!そんな驚きを、あなたに聞いて欲しくて文章に綴ってみました。どうか、しばらくの間おつきあいください。


 

夢は甲子園

私の父は漁師でした。天候に左右される不安定な仕事の中で弟と私、二人とも東京の大学に行かせてくれました。私はずっと野球をしていてアルバイトもしなかったので、いま思えば両親にとって、大変な負担だったと思います。母はそんな父を陰になり日向になり支えていました。私も親になったいま、いい両親に恵まれたなあと、感謝の気持ちでいっぱいです。

少年時代、私は勉強もよくしましたが、とにかく野球に燃えていました。めざすはもちろん甲子園です。野球部顧問のT先生は、とてもおっかない先生で、何も悪いことをしていなくても、T先生が遠くに見えるとさっさと逃げ出すというチームメイトもいたほどの恐れられようでした。

忘れられないエピソードがあります。

ある試合の時、当時のエースが泥だらけのスパイクをはいてきました。そのときに先生が言ったんです。「道具の手入れもできないやつは、試合に出さない」と。

試合に勝たなくてはいけない先生の立場から言えば、エースを出さないという判断はいかにも困難。でも、仮に能力が高くても、道具を大事にできない人間を許すことは教育上正しくないという勇断だったと思います。

T先生からは、野球そのものよりも、人間として大切なことを教えてもらったと思っています。

 

夢は甲子園

▲M・ZECで家を建ててくださったT先生宅で。いまも野球談義がはじまると止まりません

 

世のリーダーたれ

野球を通じての尊敬できる師とのめぐりあい。それはその後も続きました。高校の時の野球部のK監督。この方からはチームプレイを徹底的に教えられました。K監督は「野球は失敗のスポーツ」というのが持論でした。10回打席に立って、7回は打てない。それでも3割バッターと言われるのが野球です。だから、4番バッターばかりは必要ない。みんなで協力し、失敗を少なくすれば勝てるのです。

また監督は、「おまえたちは、将来世の中のリーダーにならないかんよ」ということもよく言われました。甲子園をめざすのも、リーダーとして立っていける人格を養うための試金石だと言うのです。

この言葉の意味はとても深いと思います。監督は決して会社の社長になれとか、そういうことを言われたのではありません。甲子園という、高校球児にとっての頂点をめざす人間には、それにふさわしい人格が宿っていなければならない。世の中の範たる人間になれ、監督はそう言いたかったのでしょう。「うちの制服を着ている限りは、紳士として振舞え」「電車では必ず席を譲れ」。よく聞かされた言葉です。

だから私も同じように、社員たちに「M・ZECの社員だから、こういうことはするな」とよく言います。監督から受け継いだうれしい財産として。

そして明治大学では名物監督・嶋岡監督から学びました。早稲田や慶応に比べ、泥臭いと言われる明大の野球。スマートでなくていい。バットをへし折ってでも、ポトンと落として進塁すればいいという"押せ押せ"の野球からは、緻密さよりも人間力だということを教えられた気がします。この監督も4年生にトイレ掃除をさせていましたが、そこにはK監督と同じ思想があったと思います。

  世のリーダーたれ

 

萌芽の時

野球の話を長々としましたが、この野球を通じて学んださまざまなことこそが、九州ではじめての「外断熱工法の家」に取り組む原動力となりました。

大学を出てサラリーマンになった私は、縁あって中津で建設業を営む瀧家の次女・真由美と結婚、右も左もわからないでこの業界に入りました。35歳で義父から会社を譲られましたが、業界の慣習やしきたりというものにはまるで疎く、ずいぶん苦労もしました。 

けれど、ここでもまた野球で培ったことが役に立ったのです。力もない、ハッタリもできない私は、業界の中で初めから4番バッターを狙わず、下働きの役に徹しました。自分は誠意でいくしかないと思ったのです。気持ちはちゃんと通じました。次第に仲間として認められ、義父の遺産ではなく、自分自身の持ち味で仕事ができるようになっていきました。

そしてそんな時、私の進路を根本的に変えた、決定的なできごとが起こったのです。

 

フェアプレイの精神

1991年に九州を襲った台風19号。猛威をふるった台風は、新築の家さえも無残になぎ倒していきました。

私たちはそれまでも、決していい加減な家づくりをしていたつもりはありません。けれども、予算や工期という名のもとに妥協がなかったとも、その時の私には決して言い切れなかったのです。

「どんな小さなところにもウソがあってはならない」

「本当に価値があると、私たちが信じられるものしか、お客様に勧めてはならない」

「これからは正直な家づくりだけをしよう」

そう考え、模索していたときに巡り会ったのが「いい家をつくる会」代表の松井修三さんでした。真摯に家づくりを考えるその姿勢に、私はおおいに共感し、触発され、自分の進む道はこれしかないと思いました。

しかし一方で経営者として、「正直な家づくり」などきれいごとではないのか、果たしてそれで会社として利益を上げていけるのかという悩みは当然ありました。けれど、信じたことを実現するために知恵を絞ればいいんだ。コツコツとフォアボールやスクイズなどで点を重ねて頑張っていこうと、その時思ったのです。

そしてその気で取り組んでみると、本当に正直な家をほしいと思っているお客様は、ちゃんといらっしゃるんですね。それは、営業手腕や、価格競争で勝ち得たお客様ではない。私たちの信条に共鳴し、本当に価値のあるものを求めて来られたお客様でした。

「フェアプレイの精神は、かならず通じる」と思えた感動の瞬間でした。

M・ZEC号は大海原に浮かぶ小さな船です。乗組員たちは、出航当時よりもちょっぴり自信をつけ、たくましくなりました。けれど、航海に油断は禁物です。私たちがめざすのは、まだ見ぬ海、まだ見ぬ大陸なのですから。

その昔、九州の地はユーラシア大陸に向かって大きく開かれていました。私たちの祖先は勇気をもって船出し、ゆたかな文化を祖国に持ち帰りました。ことにM・ZECのある中津は、蘭学発祥の地であり、かの福沢諭吉を育てた土地でもあります。

その誇りと進取の気性を忘れず、夢を持って、私たちも進みたいと思います。これからも、多くの魅力あふれる方々と出会えることを念じながら。

  フェアプレイの精神

 


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